「池上線」のこの街で

1976年にヒットした西島三重子の「池上線」は、今でも人気の曲となっています。

「池上線」の曲の歌詞は、作詞家佐藤順英氏の大学時代の実話をもとに作られているそうです。

「池上線」の曲の駅名に関しては、佐藤順英氏も歌い手の西島三重子氏も、ファンの方々から「 池上線の駅は、どこの駅ですか? 」と、しょっちゅう聞かれたらしい。その都度、「 池上線の駅は、あなたの心の中にあります 」と答えていたと、西島三重子氏は以前にラジオ番組の中で語っていたし、佐藤氏も同様の答えをしていた。

だが、アッサリと「 角のフルーツショップは今はケンタッキーフライドチキンになっている 」と告白したのは佐藤順英氏であった。

「―― 舞台は池上駅だったんですね。歌に出てくるフルーツショップなども実際にあるんですか?
佐藤 今はもうなくなって、ケンタッキーフライドチキンに変わっています。
・・・・・
佐藤 ほんとにあったことだからね。・・・だって今どき、白いハンカチを握り締めたりしないでしょ?でもこれは実話。そんなにずーっと話すこともないので、黙って立ってるってのも実話。池上線は駅と駅の間隔が短いからいくつ駅を過ぎたか、すぐわかんなくなっちゃう。だから「ごめん」ってあやまったりしていた。

改築前の池上駅
現在の池上駅

今では池上駅の駅舎も新しくなって「etomo」と命名されていますが、エレバーターを降りてすぐ左に「ケンタッキーフライドチキン」が今もあります。

駅の名前は「池上駅」で確定ですね。

終電時刻を確かめて
あなたは私と駅を出た
角のフルーツショップだけが灯りともす夜更けに
商店街を通り抜け
踏切渡ったときだわね
待っていますとつぶやいたら
突然抱いてくれたわ

当然通り抜けた「商店街」は池上通り商店街でしょう。

ただ、商店街を通り抜けても踏切はありません。100円ショップ「CAN DO」とマイバスケットの変則的な四つ辻を左に曲がったところにあります。

わがパソコン教室「NFAキャリアスクール」の眼の前ですね。商店街の踏切はここにしかありません。

踏み切りを渡って「待っています」とつぶやいた彼女は、この先の住宅街に住んでいたと佐藤氏は語っています。

ちなみに、池上線の歌詞のモデルになった女性は、27歳で当時お勤めされていたメーカーの男性とご結婚され、今では2人の息子も独立されていらっしゃるとの事。佐藤氏は遠距離恋愛の末に「振られた」ことのようです。

作詞家の佐藤さんは現在山形でベンチャー企業を経営する社長さんである。

「すきま風に震えて」いるような電車、当時池上線を走っていた「東急テハ3655」という車両が青森県十和田観光電鉄で走っていたのですが、現在は保存車として残されているようです。

デハ3655は十和田観光電鉄に譲渡され、両運転台化改造を受けた上で、翌年からモハ3603号車となった。

十和田観光電鉄(通称:十鉄)の電車

そうです。こんな感じの古い電車でしたね。私も覚えています。

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